生き物の即物性

 僕が生物と影について考えるようになったきっかけは、東日本を襲った大地震であり、津波であった。あの大災害を自ら体験し、人間が大自然の圧倒的な力の前では、河原の石の影に身を潜める虫けらと同類であることを、津波が思い知らせてくれたのである。まったく生き物以上でも、生き物以下でもないことを突き付けられた。谷崎が関東大震災(1923)という10万人が亡くなった未曽有の大災害のあとに、「陰影礼賛」を書いたのは例外ではない。いつの時代にも、大災害は人間に事実をつきつける。小さく弱い生き物でしかないという事実をつきつけるのである。同じようにして、僕自身が3.11のあとに設計した「新国立競技場」では、影がテーマとなった。庇のない箱は作りたくなかった。モダニズム建築では、庇は悪人であり、抽象的な白い箱が正義であった。それが工業化時代の、人間が生物であることを忘れた時代の正義だったのである。庇を深く出して、いかにしたら大きな影を作れるかを考えた。新しいスタジアムは、明治神宮という東京でもっとも大きな神社の庭の一部に建設される。大きな影を媒介として、神社の森の中に、建築を融かしたいと考えた。大きな影の中に、建築をひそめ、僕自身の身体をひそめたいと願った。
 そのように読んでくると、谷崎がこの本の最後で、なぜトイレの話、一見高尚な日本文化とは対極的なとも感じられる下世話な「シモネタ」が登場するかということの理由が、はじめて納得できた。谷崎は陰影の美の奥に、生き物の即物性を見て、これが高尚な文化論というより、ナマ身の生き物を扱った即物的な生態論であることを読者に伝えたかったのである。だから生き物の最も生き物的エピソードともいえる排泄の話を付け加えたのである。そのことにこめた、谷崎の現代性とユーモアに、あらためて僕は驚嘆した。